水樹奈々・水瀬いのり研究部

水樹奈々、水瀬いのりについての研究データがメイン。その他、聖地巡礼、別子銅山、新居浜太鼓祭りなど。

水樹奈々「Violetta」歌詞解釈~自分だけの人生の地図~

こんにちわ、テッラです。

今回の記事は水樹奈々さんの「Violetta」という楽曲の歌詞解釈です。

歌詞に関する記事というと、過去にはテキストマイニングの手法を用いた考察記事をいくつか書いたことがあるのですが、一つの楽曲の歌詞の意味を一から考えて解釈するのはほとんどやったことがありませんでした。

なので、今回の記事は自分の気付かないところで、こじつけ・論理の飛躍・矛盾などが散見されている可能性があります。

正直なところ、クオリティにはあまり自信が持てず記事として出すかどうか迷っていたのですが、歌詞に込められたメッセージはとても大切なものばかりで、公開することで少しでもそのメッセージが共有されれば良いなという思いから、公開に踏み切った次第です。

いろいろとおかしな点はあると思いますが、どうか温かい目で読んで頂ければ幸いです。

 

はじめに

「Violetta」は、2006年5月3日に発売された水樹奈々さんの5枚目のオリジナルアルバム「HYBRID UNIVERSE」に収録されている楽曲です。

水樹奈々さん本人によって作詞作曲された曲であり、本人が作曲した作品としては「SUPER GENERATION」に次いで第二作目になります。

ここでちょっと個人的な話になるのですが、「HYBRID UNIVERSE」はリアルタイムで聴いていたアルバムで、「Violetta」は僕にとって水樹奈々さんの楽曲の中でTOP3に入る特別な曲です。

そんな特別な楽曲でありながら、歌詞の意味については長年、その全貌を解き明かすことができないままでいました。

その理由はいたってシンプルで、歌詞がとても抽象的だからです。
また、ノンタイアップ曲で何かしらの作品とリンクしたものではなく、ラジオや雑誌をチェックしても歌詞のヒントとなるような情報はあまり得ることができませんでした。

この記事を書いているのが2023年8月で発売が2006年ですから、実に17年もの年月が経過しています。

そのような状況で、2023年7月から始まった水樹奈々さんのライブツアー「NANA MIZUKI LIVE PARADE 2023」において、「LIVE ADVENTURE 2015」大阪公演から8年ぶりに「Violetta」が披露されました。

これをきっかけにして、何度目かも分からない歌詞解釈にチャレンジした結果、まだまだ不十分なところが多いながらも、ある程度、歌詞の解析に成功するに至りました。

 

タイトルと歌詞の意図について

水樹奈々さんのラジオ「スマイルギャング」第214回で、「Violetta」について水樹奈々さんご本人が語っている内容を以下にご紹介します。

「この曲を作ったときのイメージカラーがだった。夜でもない朝でもない、その中間といった感じ。それが紫だった。その紫にまつわる言葉を調べて行ったらViolettaという言葉にあたった。」

「Violettaは、神話の中で占い師の人のことだったり、人の夢を渡り歩くナイトウォーカーという意味もある。」

「いつもの歌詞は直球な表現で書く癖があったんだけど、今回は敢えて抽象的な言葉ばかりを選んで、みんながそれぞれいろんな妄想を膨らませられるような感覚で書いた。

「Violetta」の辞書的な意味は、イタリア語で「女性の名前」「スミレ」といった意味です。
しかし、水樹奈々さんがラジオで語った内容によると、「Violetta」は、「紫」「神話の中の占い師」「人の夢を渡り歩くナイトウォーカー」に関連付けられたタイトルであることが分かります。

また、「みんながそれぞれいろんな妄想を膨らませられるような感覚で書いた。」という発言もされていることから、「Violetta」というタイトルは多様な意味を含み、歌詞の内容も様々な解釈が可能であると考えられます。

登場人物と歌詞のテーマ

登場人物

歌詞には、「君」「僕」といった人物が登場します。
この「君」「僕」ですが、歌詞は非常に抽象的であり二人の関係性を示す具体的な表現は見当たりません。

上記で紹介したラジオの発言のように「Violetta」の歌詞は様々な解釈が可能であることから、「君」「僕」の関係性について僕なりの仮説を立ててみました。


それは、「君」「僕」の関係は恋人や友人といった自分と他者の関係ではなく、一人の人間の内面に存在する異なる側面を持った自己、つまり、自分の中にあるもう一人の自分の存在を「君」「僕」として表現しているのではないかというものです。

 

テーマ

自分の中にあるもう一人の自分を「君」「僕」と表現することで自分自身と向き合い、そのプロセスを通じて人が生きるために大切にするべき考え方や価値観を示しているのが、「Violetta」の歌詞のテーマであると考えました。

以上のことを前提として、次項は具体的な歌詞の意味ついて解説していきます。

 

1コーラス目Aメロについて

星のようなブルーに時間が溶けてく頃

「星のようなブルー」とは空の色であり、青空の比喩と考えられます。これは、青空の広がりや美しさ、鮮やかさを宇宙に輝く星々のきらめきのイメージに重ねた表現であると解釈できるためです。

では「星のようなブルーに時間が溶けていく頃」とは具体的にいつ頃なのでしょうか。

空は時間の経過によって青空→夕暮れ→夜と変化していきます。
比喩として青空に時間という要素が溶けて混ざり合っている状態、すなわち、「星のようなブルーに時間が溶けてく頃」とは夕暮れ時を示すと考えられます。

迎えに行くよ君を 準備しておいて

「迎えに行くよ」という表現から、「君」はどこかに留まっている状態を示しています。また、「準備しておいて」と呼びかけていることから、「君」が留まっている場所から移動するために準備が必要であること、つまり、留まっている時間がとても長いことが示唆されます。

「君」とは上記でも説明した通り、自分の中にあるもう一人の自分です。もう一人の自分である「君」がどこかに長く留まっている。では、「君」が留まっている場所はどこで、なぜ長く留まっているのでしょうか。

次の歌詞を見てみましょう。

 

1コーラス目Bメロについて

少し饒舌な昔話-過去-にさよならしよう

「饒舌な昔話-過去-」という表現は、過去の経験や出来事について多くの話をしていることを示しています。

また、「昔話」には伝統や教訓といったことも含まれています。つまり、過去の出来事や経験、あるいは、過去の前例といったことに囚われている「君」に対して、「さよならしよう」と過去に決別するように呼びかけているのが、「少し饒舌な昔話-過去-にさよならしよう」の意味であると考えられます。

すなわち、もう一人の自分である「君」が長く留まっている場所は過去であり、過去に囚われて未来へ進めない状況を示していると解釈できます。

従って、「迎えに行くよ君を 準備しておいて」「少し饒舌な昔話-過去-にさよならしよう」という表現は、過去の執着から脱却し未来へ進むための心のプロセスであることを示唆していると考えられます。

 

あの雲の続き知りたいから

「雲」という空に浮かんでいる存在が登場してきましたので、「星のようなブルーに時間が溶けていく頃」との関連について改めて考えてみたいと思います。

「星のようなブルーに時間が溶けていく頃」とは夕暮れ時を示す表現です。この「雲」が夕暮れ時の雲のことであると仮定すると、「雲の続き」とは夕暮れ時に見る雲が連続して広がる様子を表現したものであると考えられます。

さらに、この「夕暮れ時に見る雲が連続して広がる様子」というのは「Violetta」というタイトルの意味と深く関わってきます。なぜでしょうか。

夕方になると、太陽が遠くになることから、私たちの目には波長の長いオレンジや赤の色が映ります。 しかし、空に薄い雲がかかっていると、上空に存在する青が雲の中で散乱し、赤と混ざることで、紫やピンクとった色に変化するのです。

ecotopia.earth

 

つまり、「Violetta」の紫とは、夕暮れ時に雲がかかって空が紫に染まっている様子を示したものであるということです。

水樹奈々さんのラジオの発言、「この曲を作ったときのイメージカラーが紫だった。夜でもない朝でもない、その中間といった感じ。」というのは、具体的には夕暮れ時に雲が広がっている光景であると考えられます。


次に、「あの雲の続きを知りたい」とはどのような意味でしょうか。

「あの」とは対象が遠くにあることを示す表現であり、遠く彼方にある雲を見ている様子から、自分自身の未来の続きが知りたいという前向きな心を示すものと考えられます。

ではなぜ「雲」が未来の比喩になっているかというと、雲が厚くなれば雨雲になって雨を降らせる一方で、雲が薄くなれば晴れになります。

つまり、雲は天候によって変化し不確定な要素があると同様に、未来の出来事も不確定な要素に溢れている。それでも、未来の自分に前向きになっている状態を「あの雲の続きを知りたい」と表現しているのではないでしょうか。

夢と日常の隙間Knockしてmiracle dive!

夢や目標を実現するためには、日常の中で努力し、学び、成長する必要があります。従って、夢と日常の隙間とは、夢や目標に向かって進む過程で自分自身が成長するために取り組むべきエリア、あるいは、自分自身の中に存在する目に見えない小さな隙間やチャンス、可能性であると考えられます。

そのような隙間にKnock(アプローチ)して、取り組むべき課題、自分自身の可能性に勇気を持って挑戦していく、そのような大胆な行動を「miracle dive」として表現しているものと思われます。

 

夢の意味

ここで、「夢と日常」という表現における「夢」の意味について少し掘り下げてみたいと思います。

まず、「夢」と対比される「日常」という表現についてです。

2004年12月8日に発売された4枚目のオリジナルアルバム「ALIVE&KICKING」に「JUMP! 」という楽曲があります。この曲は水樹奈々さん本人作詞曲で、前向きで明るい応援ソングとなっています。

なぜ2004年という「Violetta」が発売されるより前の楽曲を振り返るかというと、「Violetta」発売以前の楽曲であれば、歌詞に反映されている水樹奈々さんの考え方はあまり変化していないと考えたためです。

別の言い方をすれば、「Violetta」以前の水樹奈々本人作詞曲というのは、「Violetta」の歌詞の意味を探るための参考文献として機能するのではないかということです。

では改めて「JUMP! 」の歌詞について見てみます。

「JUMP! 」には「平凡な日常でもスペシャルな冒険したい」という歌詞が登場します。

ここでいう「日常」は、「スペシャルな冒険」と対比される形で「平凡な日常」として表現されています。
「JUMP! 」及び「Violetta」いずれも水樹奈々本人作詞であり、かつノンタイアップ曲であることから、水樹奈々さん本人の考え方がストレートに反映されていると考えられます。

従って、「Violetta」における「日常」も「JUMP! 」と同様のニュアンスが含まれると仮定すると、「日常」に対比される「夢」というのは、「日常」スペシャルなものに変える存在であるということが導き出されます。

「日常」スペシャルなものに変える「夢」とは「目標」です。夢を目標として捉え、目標を持つことによって日々のモチベーションが上がり、「日常」がより豊かに刺激的になるということです。

水樹奈々さんの楽曲で「夢」という歌詞は、最も多く登場する言葉となっています。
水樹奈々さんは歌手デビューしてから20年以上経過しましたが、一貫して「夢」の大切さを発信し続けています。

「夢と日常」という表現は、「」の大切さが反映された、水樹奈々さんらしい表現であるといえます。

 

1コーラス目サビについて

そうさ 僕たちは気づくだろう 止まるのことのない風の行方

まず、「止まることのない風の行方」が何を示唆しているのか考えてみます。

止まることのない風、すわなち断続的に吹く風とは、あるスポットに局地的に吹く風ではなく、地球全体としての大気の流れのことであると捉えられます。

太陽が放つ光によって大気が熱せられることで大気の動きが変化。さらに、この大気の流れと地球の自転により、地球に吹く風は様々な向きに変化し、さらに地形によっても複雑な動きをします。

従って、「止まることのない風の行方」とは、予測できない、自由に変化する象徴として考えることができます。

ちなみに「行方」という表現についてですが、辞書的には「あてとして進み行く方向。向かうべき先。また、行った先。」といった意味になります。

つまり、「止まることのない風の行方」とは、人生の比喩として、人生もまた止まることのない風と同じように変化し続けるものであり、自由な選択や成長を経て進んでいくということを示唆していると考えられます。

次に、「僕たちは気づくだろう」の部分についてです。

「僕たち」とは、もう一人の自分である「君」と「僕」の両者を指すものと考えられます。両者の自己が一致し、一人の人間として人生の行方に思いを馳せている心の様子を「僕たちは気づくだろう」として表現していると考えられます。

 

答えはそっとmute

muteの辞書的意味としては、音を出さないようにする、無音にするという意味になります。つまり、答えは既に存在していたとしても、その答えは無いものにするという意味として捉えられます。なぜなら、初めから存在しないものをミュートすることはできないからです。

では「答え」が何を意味するかについて考えてみます。
再度、過去の水樹奈々さん作詞曲の歌詞を振り返ってみましょう。

 

常識なんて蹴っ飛ばし」(「JET PARK」)

「大人の数学身に付いて 個性-らしさ-隠してしまったの?」(「JUMP!」)

模範解答見当たらなくても最高を捕まえに行こう!」(「JUMP!」)

 

これらの歌詞が示すことは、水樹奈々さんは「常識」「数学」(数学の答えは一つしかない)「模範解答」といった、既に存在する決まりきった解答を否定し、自分だけの答えを見つけるべきであるという哲学を持っているということです。

つまり、「答えはそっとmute」とは、既存の答えは自らの意志で否定し、自分だけの答えを見つけようというメッセージが込められていると考えられます。

 

シンプルなtakt刻む

taktとは指揮棒のことであり、「taktを刻む」とは指揮者が指揮棒を使ってリズムを刻むことを意味します。

つまり、「takt」は自分の人生をリードする指針、「taktを刻む」とは自分の人生の歩み方の比喩とすると、「シンプルなtaktを刻む」とは、物事をシンプルに捉えることで人生にとって本当に重要なものに集中し、無理なく落ち着いたペースで人生を進めることを示しているものと考えられます。

 

楽譜-メロディの地図-歌うから

楽譜とは、メロディの高さ(音程)や音の長さなど様々な音楽的要素が記号や音符によって記録され可視化されたものです。

一方、メロディの地図とは、楽曲の進行や展開、メロディの流れがまるで地図のように配置されていることを喩えた表現であると考えられます。
具体的には、メロディとは地図におけるルート、あるいは旅程や道筋のようなものです。

つまり、楽譜-メロディの地図-とは、音楽が楽譜上の単なる記号や音符の集合体ではなく、人が旅程や道筋を辿るように、音楽もまた旅のようなものであることを示唆しています。

では、上記を前提として「メロディ」が意味するところを考えると、「メロディ」は楽曲あるいは曲の構成ごとに様々なパターンが無数に存在します。それと同様に、人生の歩み、その道筋もまた様々なパターンが存在するということでしょう。

次に、「歌う」についてです。
「歌う」とは、人の声がリズムと共にメロディの音程を再現し、自らの声によって感情や思いを表現する行為であると定義されます。
つまり、「歌う」という行為を一言で言えば、主体的な自己表現の手段である、ということです。

以上のことから、「楽譜-メロディの地図-歌う」とは、人が地図を辿って人生の旅を続けるように、歌い手が歌によってメロディの地図を辿っていき、音楽の旅をするということを示しています。

このことは、人生とは、自らの意志で主体的に自分だけの道筋を辿りながら歩むものであることを示唆しているのではないかと考えられます。

 

2コーラス目Aメロについて

考え事した月が眠り始める頃 

「考え事した月」とは、夜という静かな環境の中で自己と向き合い深い思慮に耽っている心の様子を示した表現であると考えられます。

そして、「考え事した月が眠り始める頃」とは、月が眠るくらいになるまで思慮が続いていたことを示唆しています。

今よりもっと君の笑顔見たくなる

「君の笑顔」とは、自分の中にあるもう一人の自分のポジティブな感情を象徴していると解釈できます。

一方、「今よりもっと」という表現は、隠されていた自分のポジティブな感情がより増幅していく心のプロセスを示した表現であると考えられます。

以上を踏まえて、「考え事した月が眠り始める頃 今よりもっと君の笑顔見たくなる」が示唆していることは以下のようになるかと思われます。

夜の静けさの中で自分自身と深く向き合ったことで、隠れていた自分のポジティブな感情に気付き、結果として、その感情が自分自身の素直な願望としてより大きくなっていったという内面の成長や自己探求を示すということです。

 

少し気まぐれな 僕の心電図-オシログラフ-

オシログラフ」は、波形を表示するオシロスコープのように心の揺れや感情の変化を示します。つまり、自分の鼓動の動きを心電図の動きとして表現し、自分の鼓動が気まぐれに変化することによって、自分の感情がさまざまに変化していることを示しています。

 

イカサマな闇-よる-にveil被せ

イカサマとは不正や欺瞞を意味する言葉です。すなわち、社会や周囲の期待に応えるために自分を偽ったり隠したりする心の様子を「イカサマな闇-よる」として表現したのではないかと考えられます。

次に、「veilを被せ」については、自己肯定感を向上させるための自分を守る手段を意味していると考えられます。自分を肯定し自信を持つために、自分を偽るような不安や心の迷いといった内面のネガティブな声を遮断しようとしていると解釈できます。

 

赤いレンズに映る 銀の砂 海に降らせる

「赤いレンズ」は、青や緑の波長を吸収するため、夜空の星や天体がより鮮明に見えることを意味します。このことで、星座や星雲、銀河などの詳細をより視覚的に捉えることができるようになります。

「海」とは、地球に存在する海ではなく夜空の比喩であり、「銀の砂」は無数の星々を示します。
以上のことから、「赤いレンズに映る 銀の砂 海に降らせる」とは、赤いレンズによって鮮明になった無数の星々が夜空に美しく広がっている状態を示すものと考えられます。

つまり、内面のネガティブな声を遮断したことにより、夜空に無数の星々が美しく広がっている様子が鮮明に見えるほど心がクリアになったことを示唆しています。

このことは、星々の輝きは明るく美しいものでありそのイメージはポジティブな感情や希望を連想させます。

 

「考え事した月」と「イカサマな闇-よる」との関係

「考え事した月」と「イカサマな闇-よる」は、いずれも夜の情景を表現したフレーズですが、両者の時系列とそれぞれに関連する内面のプロセスがどのような関係になっているかについて、考察してみたいと思います。

まずは、心のプロセスについてです。
以下のような流れになるかと思います。

内面のネガティブな声を遮断(veil被せ)
     ↓
美しい星々が見える(銀の砂 海に降らせる)
     ↓
自己と向き合い深い思慮に耽る(考え事した月が眠り始める頃)
     ↓
自分のポジティブな感情が大きくなる(今よりもっと君の笑顔見たくなる)
     
次に、夜空の状況の変化です。

①「イカサマな闇-よる」→内面がネガティブな状況になっているため、夜空なのに星が見えない。イカサマ」とは自分自身を偽っている心の状況だけでなく、本来見えるはずの星々が見えなくなっている夜空であることも示唆している。

②「赤いレンズに映る 銀の砂 海に降らせる」→veilを被せたことで綺麗な星々が夜空に広がっている本来あるべき夜空が見えるようになった。
「赤いレンズ」には夜空の星や天体がより鮮明に見える効果があることは既に述べたとおりだが、効果はそれだけではない。
夜空の星々は、月の光が強いとその光に遮られて見えにくくなってしまう。しかし、「赤いレンズ」によって、月の光があっても星々を捉えることができる。

③考え事した月→赤いレンズによって夜空に美しい星々だけでなく月も出ていることを視覚的に捉えている。

④考え事した月が眠り始める→月が眠り、月の明るさが少なくなるとその影響で星々の光がより鮮明に感じられ、夜空が一層美しく感じられることを示唆している。
夜空が一層美しく感じられることが「今よりもっと君の笑顔見たくなる」という心の変化と繋がっている。

以上のように、「考え事した月」と「イカサマな闇-よる」は、夜の状況がイカサマな闇-よる」から「考え事した月」へと変化し、そのような夜の状況と共に心のプロセスも連動して変化していく関係となっています。

2コーラス目サビについて

そして 僕たちは解るだろう 宇宙は自分-この-中で色づいているコト

宇宙という無限に広がってる存在が自分の内面、精神世界でも色づいており、宇宙が多様で美しい色彩で満ちているように、個人の内面も多面的で豊かな感情を持っていることを表現しています。

「そして」とは、続きや結果を示す接続詞であり、次に続く部分が前の部分の結果や結論を示すことが多いです。

つまり、自己と向き合い自分自身の素直な願望に気付いたことで、宇宙が多様で美しい色彩に満ちていることが解るようになった、ということです。

 

クールなlamination解き放て!

「クールなlamination」とは、かっこつけたり大人ぶったりして自分の心がいくつもの層に覆われることを示し、それらを解き放つことで、ありのままの自分をさらけ出すことを示しています。

 

廻る言葉-キューブ- 自在にカタチ作るのさ

「廻る言葉-キューブ-」とは個人の内面、すなわち自己を示しているものと考えられます。

まず、「廻る言葉」の意味するところは、個人の内面では、さまざま思考が繰り返されたりさまざまな感情が巡っていたりしています。このような心の働きを「廻る言葉」として表現しているのではないかと考えられます。

次に、「キューブ」についてですが、キューブは多面的な形状を持つことから、個人の内面が複雑で多面的であることを意味しているものと考えられます。

以上のように、多面的で複雑な自己は、「自在にカタチ作るのさ」と表現されています。これは、自己は固定したものではなく、常に変わり続けるものであることを示唆しています。

自己が変化し成長し続けることによって、人生の中で直面する様々な困難や状況の変化にも柔軟に対処でき常に前向きに行動できるようになるというメッセージが込められていると考えられます。

 

ラスサビについて

そうさ 僕たちは願うだろう 終わることのない風の調べ

まずは、「終わることのない風の調べ」が何を意味しているのかについて考えてみます。

「風の調べ」とは、風が吹くときに発する音や、風が物体とふれあう際に生じる音、あるいは風によって引き起こされる自然の音などを指して使われますが、そのような音を「調べ」と表現することで、風の音を聞いたときに感じられるリズムや音色を音楽の調べや旋律に喩えています。

以上を踏まえたうえで、「終わることのない風の調べ」とは何を示唆しているのでしょうか。

「風の調べ」とは風が吹くときに発する音楽的な響きのことを指しますが、風は吹く方向や強さによって異なる音を生み出します。言い換えると、「終わることのない風の調べ」とは、自然界によって生み出されるさまざまな音楽的響きが終わることなく続くことを示します。

つまり、「終わることのない風の調べ」とは常に新たな風の旋律が生まれ続けるということであり、人生や状況が変わっても新たな始まりが絶えずやってくるということを示唆しているのではないでしょうか。

 

次に、「僕たちは願うだろう」について考えてみます。

「願う」という表現については、「~に願う」と「~を願う」という二つの表現方法が存在します。これを歌詞に当てはめてみると、①「終わることのない風の調べ」願う、②「終わることのない風の調べ」願う、ということになります。

①は願いの対象が「終わることのない風の調べ」そのものであるのに対し、②は「終わることのない風の調べ」に何かの願いを託しているということを意味します。

 

①の場合の願いは「新たな始まりが絶えずやってくること」ということになりますが、②の場合、「新たな始まりが絶えずやってくるということ」に対し、何らかの託されている願いが存在するということになります。

では、②の表現方法を採用する場合、託されている願いの中身は何でしょうか。

「人生や状況が変わっても新たな始まりが絶えずやってくる」ということは、人生において常にチャンスや希望があるということであり、失敗を恐れずに未来に向けて前向きな気持ちで進もうとする願いをそこに託しているのではないかと考えられます。

また、新たな始まりは変化を伴うことが多いです。つまり、新たな挑戦や変化を常に受け入れ前進することで自分自身を成長させ、人生を豊かにする願いもまたそこに託されていると解釈できます。

 

答えはきっといつも

まず、「答えはきっといつも」と、次に続く歌詞である「シンプルなtakt揮う」の二つのフレーズを繋げて意味を考えてみることにします。

「答えはきっといつもシンプルなtakt揮う」となり、少し言葉を補うと「答えはきっといつもシンプルなtakt揮うことである」ということになります。
文法的にも意味的にも不自然なところはないように思われますが、実は大きな矛盾が存在すると考えられます。

1サビの歌詞を振り返ってみると、「答えはそっとmute」です。すでに説明した通り、このフレーズが意味するところは、既存の答えは自らの意志で否定し、自分だけの答えを見つけるというものになります。

従って、「答えはきっといつも」と「シンプルなtakt揮う」を繋げてしまうと、「シンプルなtakt揮う」という答えを明示してしまうことになり「答えはそっとmute」と矛盾するというわけです。

では、「答えはきっといつも」をどのように解釈したらよいでしょうか。

それは、「答えはきっといつも」の後に来る答えの中身については、文字通りミュート(消去)されて歌詞として存在しないということです。

これは、その答えについては、聞き手側がそれぞれ自分自身で考えるというメッセージが込められていると解釈されます。

ここで、「答えはきっといつも」の後に続くフレーズを自分なりに考えてみました。
例えば次のようなフレーズです。


「答えはきっといつも一人一人の心の中にある。」
「答えはきっといつも一つではない。」
「答えはきっといつも変わり続ける。」

 

シンプルなtakt揮う

「takt揮う」とは、指揮者がオーケストラや合唱団などの音楽団体を指揮する行為を指します。指揮者は、音楽の解釈や表現に個性を持ち、自らの感性を音楽に反映させることができる役割を持つ存在です。

つまり、「takt揮う」を人生に置き換えると、自分の人生をどのように自分自身で導くかという意味になると考えられます。

「シンプルな」が示唆するメッセージは、目標に向かって進む際には、細かなノイズや複雑な状況に惑わされず本質にフォーカスすることで、人生において適切な行動や選択ができるということを意味していると考えられます。

楽譜-メロディの地図-歌うのさ

すでに説明した通り、その人らしい、その人のオリジナルの人生の旅を続けることができるということを意味するものと考えられます。

 

「歌うから」と「歌うのさ」のニュアンスの違い

「歌う」という意味は、すでに説明した通り、人生において主体的に自分自身を表現することです。

しかし、1サビでは「歌うから」という表現に対し、ラスサビでは「歌うのさ」という表現になっており、両者に違いが見られます。

このニュアンスの違いについて考えてみます。

「歌うから」は、自分自身の意志の強さや情熱を含むニュアンスがあります。つまり、1サビの段階では、これから人生において主体的に自分自身を表現していくという意志が込められており、その主体的な表現はまだ途中にあることを示唆しています。

一方で、「歌うのさ」は、「歌う」という行為を自然な流れや感覚に従って、自然な行動として表れている様子を示しています。つまり、歌詞全体の中で示されている心のプロセスを通じて、人生において主体的に自分自身を表現することが自然に行えるようになったという、主人公の成長を示しているのではないかと考えられます。

 

まとめ

冒頭でも述べたように、「Violetta」の歌詞のテーマとは、自分自身と向き合い、そのプロセスを通じて人が生きるために大切にすべき考え方や価値観を示しているというものです。

ここで改めて、「Violetta」の歌詞に込められたメッセージをまとめてみます。

1コーラス目Aメロ、Bメロのメッセージ

過去に囚われず未来を向くために、夢や目標を持ち、夢や目標を実現させるためにさまざまななことにチャレンジして自分自身を成長させることが大切。

 

1コーラス目サビのメッセージ

人生はとても自由で変化があり、人生の行き先も予測がつかない。そんな未来に向かって、人生の地図を辿りながら、無理なく落ち着いたペースで自らの人生を主体的に生きることで、その人らしい、その人のオリジナルの人生の旅を続けることができる。

 

2コーラス目Aメロ、Bメロのメッセージ

自分を偽るような不安や心の迷いは一度遮断してみることで、心の状態がクリアになり自分自身と深く向き合えるようになる。その結果、自分自身の素直な感情や願望に気付けるようになる。

 

2コーラス目サビのメッセージ

人の内面は多面的で豊かな感情を持っている。多面的な人の内面は常に成長し変わり続けることで、人生の中で直面する様々な困難や状況の変化にも柔軟に対処でき常に前向きに行動できるようになる。

 

ラスサビのメッセージ

人生や状況が変わっても常にチャンスや希望があるから、失敗を恐れずに未来に向けて前向きな気持ちで進むことが大切である。

 

あとがき

かなり長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。僕の17年に及ぶ歌詞解釈の旅もここで一区切り迎えた感じですね。

冒頭でも書きましたが、「Violetta」の歌詞って抽象的過ぎて、なんとなくニュアンスは分かっても、いざ言葉にすると結局何が言いたいんだか分からなくなるということの繰り返しでした。

特に、2コーラス目Aメロ、Bメロは難解で、最後まで解釈に苦しみ何度となく解釈の変更を余儀なくされました。

まあ、あくまで僕の独自解釈なので、「Violetta」の歌詞の中にあるように、答えは一つじゃなくてそれぞれみんなが考える解釈が正解なのだと思います。

とりあえず、水樹奈々さんの楽曲で一つの曲の歌詞解釈を完成させたのは「Violetta」が初めてだったので、ものすごい達成感を得ることができました。

他の楽曲の歌詞解釈もやってみたいと思いつつ、しばらくはお休みします(笑)。

改めて、ここまで読んでいただいた皆様に厚くお礼申し上げます。

ちなみにですが、「Violetta」は神話の中での占い師、または夢を渡り歩くナイトウォーカーいう奈々ちゃんのラジオの発言を紹介しましたよね。

そのいずれも出典元が分かりません。ネットだけではありますが、あらゆるワードを使って検索しても一生出てこねー。図書館行ったら分かるかもしれませんが。

何か情報持ってる方いらっしゃいましたら、お知らせ頂けると大変大変喜びマッスル。

 

謝辞

ぽえさんhttps://twitter.com/nanagrandorder
まだ出会って間もない頃だったにもかかわらず、さし飲みで「Violetta」の歌詞解説をしましたよね(笑)。いろいろとご迷惑をおかけしたところもあったかと存じますが、あの時の飲みが「Violetta」歌詞解釈の礎となったことは間違いありません。ありがとうございました。

 

千秋さんhttps://twitter.com/c0121
「Violetta」がまだ歌われる可能性があるからもっと楽曲の理解を深めたいという千秋さんの切実な思いが僕の心を突き動かしました。正直なところ、千秋さんの言葉がなければ何度も挫折した歌詞解釈に再びチャレンジすることはなかったと思います。ありがとうございました。

 

チャモさんhttps://twitter.com/tapestry0121
「Violetta」が人の内面を描いている世界観であるという着想を得たのは、チャモさんの「パレオトピア」の歌詞解釈記事がきっかけの一つだったりします。また、論文審査ではアクセプトの交付及び評価を頂いたことが記事公開の後押しとなりました。ありがとうございました。

 

ホイップさんhttps://twitter.com/vhonvn
間接的にではありますが、ホイップさんが僕のツイッターのリプに反応してくれたことが重要なきっかけとなったように思います。論文審査においてもホイップさん視点からのご意見を頂戴し、改めて自分の解釈を見直してみる機会となりました。ありがとうございました。